何もできずにそばにいる

エゴと妄想と回想

君たちのいない夏、いつもと違う夏

10年半続けてきた乃木坂ヲタクを卒業(?)して早2ヶ月。

「最後の1期生を見送るまで」と区切りを決めその後は卒業生の活動を追いかけることに専念しようと考えてはいたものの、その先で自分がどういう感情で過ごしていくのかはまるで想像がつかなかった。

2ヶ月経ってこれまで感じたことやそもそもなぜ旅路の果てを明確に決めたのかなど、適当に綴ろうと思う。

 

 

これを読んでくれている人なら恐らく大体が知っているとは思うが私は元々橋本推し。

あの頃は卒コンの日を以て自分も共に、乃木坂から離れようと決めていた。

橋本単推しを貫いて4年と2ヶ月。中1の冬の日の朝にHTCのcmを見てななみさんにひとめ惚れしてから卒コンの日までの期間は今振り返って見ても本当にあっという間だったように思う。

人のヲタクスタイルに口出しするつもりもなければ「現場に行ってるヲタクが偉い」などというくだらない価値観も持ってはいないが、札幌という遠征必至の地に住む学生の割にはかなり頑張って現場に行った方だと思う。

だって乃木坂さん当時は13年の1回しか札幌にライブしに来てくれなかったんだもん。ななみさんはローカルなイベントにたまに呼ばれたりしていたけどね、札幌モーターショーとかファクトリーのツリー点灯式とか(多分これは札幌市民にしか伝わらない)。

去年から全国ツアーに札幌公演が復活して「乃木坂もでかくなったなあ、札幌で採算取れるようになったんだ」と感慨深くもなったし「俺が札幌いた頃からやっといてくれよ!」なんて妬む気持ちも少しはあった。笑

「勉強さえやっていればあとは何をしても良い」と言ってくれた父や、自らK-POPのライブ目当てに関東遠征をよくしていたお陰で私の遠征も認めざるを得なかった母、緩くて恵まれたいい家庭だったと思う。高校受験前に西武ドームに行って風邪を引いたときには流石にお叱りを受けたが、たまのズル休みはあまりとやかく言われたことはなかった。

 

神宮は毎年行っていたし受験合格の報告を握手会でしたり、高校生になってバイトして全ツの地方公演にも行ったり、挙げだすとキリがないくらい思い出はたくさんある。都内大学訪問みたいな名目の高校の行事の自由時間にパシフィコまで行って学ランで握手しに行ったのも忘れられない。

そういえば初めて行った握手会のときはまだ坊主だった、野球部だったから。まだ身長もななみさんとほとんど同じだったな。

あとこれは常々感じていたことだけど、同じ趣味を持つ歳の離れた大人の方々と交流したり一緒にご飯食べたりするなんて機会も普通の学生じゃなかなか味わえないよね。

 

そんな学校の青春とはまた別の青春を味わわせてくれた乃木坂という存在も橋本奈々未という存在も、自分の中で2017年2月20日に綺麗に区切りをつけたかった。

しかし、最愛の人のアイドルとして最後の姿を見届けた後、抜け殻のような状態だった自分も「乃木中をリアタイすること」と「ハリポを聴くこと」の2つだけは続けていた。

習慣とは驚くべきもので、土曜の朝には自然と目が覚めてラジオを付けるし日曜が終わりそうになれば自然とテレビに吸い寄せられるようにして乃木中を見ていた。ラジオは元から好きだったのもあったし飛鳥ちゃんの声も好きだったのでハリポはなんの違和感もなく聴き続けていたが、テレビの冠番組ともなればやはり少し違った。面白いところでは笑うけどなんとなく惰性で見てるところもあったように思う。

 

そんな状態のまま夏までの数ヶ月はこの2つだけを続けていたが、そこで目に入ってきた全ツの応募開始のニュース、本当になんとなく、「当たったら考えよう」くらいで投げた神宮が当たってしまった。

推しがいないライブはアンダラや14年の神宮など、経験したことはあったがこれはまた話が違う。

結局行くことに決めたものの、きっと見える景色も感じることも全然違うだろうし「心の底から楽しめるのか」とも考えていたが、そんな不安を一気に吹き飛ばしてくれたのが1期生のマネキンだった。

自分が乃木坂を好きになったきっかけとなる場面で流れていたあの曲を、ななみさんを見送った1期生全員で披露したあの瞬間に決意した。

 

「この子たち全員見送ろう。」

 

「こんな素敵な場所やメンバーから離れたくなかった」という未練が心の奥底に残っていたのかは自分でもわからない。「この子たちが旅立つ時に少しでも寂しくないように」なんてヲタクの勝手なエゴなのかもしれない。

でも腹を括ったからには再び全力で走り出した。

 

 

そこからは長いようで短い6年弱だった。

大学に入って地元を離れて環境は変わったしコロナ禍では歯痒い思いをする場面も多かった。

1期生は皆卒業する度に「これからの乃木坂もよろしくお願いします。」と口を揃えて言っていた。「本当にこの子たちはグループのこと、後輩のことを愛しているんだな」と強く感じていたのと同時に、最後の1,2年は聞いていて少し心苦しかった気もする。

 

「最後は飛鳥ちゃんかな」なんて根拠もなしに心の片隅で考えたりしたこともあったが(去年一昨年を見ているともう誰から卒業してもおかしくはなかったね)、本当にその通りになってしまって遂に今年の5月18日に最後の1期生である飛鳥ちゃんを見送った。

 

本当にかっこよくて綺麗で可愛くて、「あの末っ子だった飛鳥ちゃんがたくさんの後輩に慕われるお姉さんになったんだなあ」と改めて感慨深くなった。飛鳥ちゃんが大好きだった"嫁"とも姿が重なるような場面もいくつかあったね。

二日目の終演後は寂しさも達成感のようなものもあった。

とうとう私はあの年の神宮でマネキンを踊っていた23人全員の旅立ちを見届けることができたのだ、それと同時に「乃木坂46の1期生」という長い物語に幕が下りてしまった。

終わってみれば、ななみさんを見送ってから飛鳥ちゃんを見送るまでの期間が、ななみさんを追いかけた期間をとうに越してしまっていた。 

 

 

最近は忙しいのもあって時間のある時に出演番組を録画で見ることも多いが、卒業生の活動を追いかけるのに目一杯時間を割けている。ここ数年は現役と卒業生の活動を両方追いかけるには時間が足りずに大変な思いをしていたが、その頃に比べたらまだマシ…かどうかは微妙なところ。みんな色んな分野で活躍していて本当に嬉しい。

そういえばいくちゃんのライブに行けなさそうで申し込めなかったのはめちゃくちゃショック。今の生活に慣れたら冬か来年の夏にはまた行きたいし他の子もイベントとか舞台があるなら行きたいな。

 

正直なところ今の乃木坂の活動はほとんど追っていないしあんなに長い時間をかけて習慣付いていた乃木中も殆ど見なくなってしまった。あ、ボウリング回は面白かった。

有難いことに全ツも何箇所かお誘いいただいたが結局全て断らせていただいた。

別に後輩が嫌いとか1期生以外興味ないとかそんなことはなくて、むしろ可愛くて綺麗で一生懸命な後輩ちゃんたちが好きだったしここ数年多かった期別演出もまるっと楽しんでいたくらい。

でも時間は限られているからどれに優先順位をつけるかって話と、飛鳥ちゃんを見送って「やりきった!」って気持ちが強いのもある。

 

あと一つ、本音を言うとちょっと疲れた。これはやりきったって達成感から来ているのもあるのかもしれない、「一回戻ってきてようやく目標に達したんだから、もう綺麗に終わろう」って気持ちがないわけでもない。

 

アイドルヲタクって色んな意味で体力が必要な趣味だなとずっと感じていて、こっちは言ってしまえば消費者側なんだけど、いい意味でも悪い意味でも気持ちが揺さぶられてしまう場面が多いと思う。

もちろん感動的な場面も数え切れないほどあってプラスに働くこともたくさんあるけど、単推しの人も箱推しの人もアイドルを追いかけていて色んな場面で「しんどいな」って感じることが多少なりともあるんじゃないかと思う。

自分も11年間そうだった。だからもうそろそろ平穏にいきたいなって。もちろんグループのことも応援はしてるけどひっそりと、ね。

 

 

今ちょうど全ツ期間なのもあってTwitter(下書き書いてるうちに気づいたらXって変な名前に変わってた)のTLを見てると色んな人の遠征ツイートとかライブレポが流れてくる。「夏だねえ」ってにこにこしながら楽しんで見てます。あとご当地グルメの写真を見て腹を空かしてる。

 

 

もう夏にライブで遠征することもほとんどなくなるんだろうなと一抹の寂しさも覚えている。

旅行は好きだからこれからも定期的にどこかを旅したい。

コロナで計画とか色々崩れて結局学生のうちに行けなかったNYもどこかで必ず訪れたい。

 

 

今まで何度かTwitterのアカウントを変えたりもしたし会わなくなってしまったり近況がわからない人もいるけど、ここを覗いてくれた方々とは今後も仲良くしていけたらうれしいです。

 

では、また。

寒さに震える初冬の回顧

Twitterだと140字という制限の中で自分の想いを全て綴ることは難しいのでブログ書いてみました。飽きたらやめるかもしれないし飽きなくとも更新のペースはみなみちゃんもびっくりなマイペースぶりかもしれない、先は見えない。

 

 

 

今年は人生の中でもトップクラスに退屈な一年だったと言えるかもしれない。2月末辺りから大流行した新型コロナウイルスのせいでイベントは余儀なく中止、ここ最近ようやく業界の方々が手探りの中新たな形のエンタテインメントを我々にまた提供し始めてくれている。自分が今年参加したイベントといえば8th year birthdaylive(以下8thBD)とWHISTLE Down the WIND(以下WDTW)、そして帝劇ミュージカルコンサートくらいであろう。

 

 

 

8thBDは今年は名古屋で4daysでの開催となった。もう既に記憶は朧気だがライブの1週間前くらいからコロナウイルスがやばいというニュースをちらほら聞き始めた気がする、乃木坂はラッキーだったというべきかなんとか滑り込みでライブは無事に開催できた。コロナ禍以前の全国最後の大規模イベントだったと言ってもいいのかもしれない。

 

ライブについてもあれこれ語りたいのだが長くなりすぎてしまいそうなので円盤が発売される頃にでもまた別の記事で。

 

 

 

WDTWも東京では1週間くらいしか開催できなかったはず、自分は奇跡的に払い戻しがない開演できる日程のチケットを取っていたので日生劇場にて観劇した。状況が状況だったので空席も見受けられたが生田絵梨花の圧巻の演技そして美しい歌声に感激した。今となってはWDTWの思い出も少し寂しく切ないものに見えてしまう。ブラッディ・マンデイ、好きだったなあ。

 

 

 

帝劇ミュージカルコンサートは三密回避のため予め観客が隣り合わないよう空席が意図的に設けられての開催だった、人が少ないからこそいくちゃんの伸び伸びとした楽しそうな歌声がいつもよりよく響いて聞こえたような気がするしモリクミさんの迫力には度肝を抜かれた。

 

 

 

例年行われていた全国ツアーは当然開催できなかったしもしコロナがなければ行われていたかもしれないさゆやかなりんの卒業関連のイベントが行えなかったことが非常に悲しい、ヲタクにとって夏に神宮に行くことこそが夏みたいなもんなので。それに卒イベも時間はいくら空いてもいいのでいつかやって欲しいと願う。

 

 

 

そして先日10月28日、白石麻衣卒業コンサートが配信ライブという形で行われた。この話が今回のメインである、前置きが長すぎた。

 

白石麻衣という名前は恐らく乃木坂のことをよく知らない人でも聞いたことぐらいはあるはずだ、今でこそ乃木坂も様々なメンバーがグループ外での活動が増えてきてはいるが黎明期の頃から生駒ちゃんと並んでグループの先頭で引っ張ってきた彼女が乃木坂にもたらしたイメージの影響は計り知れない。

 

白石麻衣と言えばあなたはどんなことをイメージするだろうか。専属モデルや写真集と言った村外活動のパイオニア?乃木坂の女神?お茶目な完璧主義者?

 

人によって答えは様々であろうがここは敢えて自分は橋本奈々未推しという立場から少し語りたいと思う。自分にとってはななみさんのシンメと言えばまいやんなのである(以後推し補正強め)。7,8,9,11,12thの表題シングルで前列や2列目でシンメを組んできた最強無敵のパートナー。傍から見ればプライベートの付き合いはそんなになかったような気もする二人だがお姉さん組や92年組、御三家と言った括りでよく一緒になっていたこともあってカップリングやグラビアで一緒になることは非常に多かったように思う。

 

なぜ自分が何年経ってもこの"孤独兄弟"に囚われているのかという話だが、最早この二人のシンメの輝きは過去のヲタクの幻想に近づいてきてしまっているのかもしれない。ななみさんが卒業して3年半(シングルで言えば25th時点で9作)が経ちこの二人の組合せを知らないファンも増えてきたはずだ。目まぐるしく移り変わる女性アイドルのヲタクにとって過去のメンバーの功績を知ることは強制されるべきものではないというのが持論で「昔こんな子もいたんだよ」くらいで十分である。それを知っている人たちが思い出を大切にしていればいい。

 

あの二人への想いを未だに引きずっている全ての原因は卒コンとなった5th year birthday live1日目の特典映像である。当日の会場や円盤のライブ本編の映像ではほとんど聞こえなかったななみさんとまいやんのステージ上の最後のやりとり、円盤を再生すると会場のスピーカーには通っていなかった最後の二人のやり取りの音が入っていて罪悪感のようなものさえ感じてしまった、あれは本当にヲタクなんかが聞いてしまってよかったのだろうかと今でも思う。そしてまいやんの「がんばるね。」の言葉がずっと脳から離れない。冷静に考えてみると去りゆく者と残された者のよくある会話の一部なのかもしれないがENの手紙の「私の5年半はななみんの隣にいた5年半」なんてことを耳にしてしまえば呪縛は強まる一方だ。

 

まいやんは25の時つまり17年に一度卒業を考えていたそうなのだが周りに卒業を考えているメンバーが多いのもあってもう少し頑張ろうとグループに残ってくれたようだ、そこにあの「がんばるね」の言葉があったのかどうかはまいやん本人じゃないとわからないが自分も正直まいやんはもう少し早い時期に卒業すると思っていた人間なのでここまでグループにいてくれたことは驚きとともに感謝しかない。二度のレコード大賞受賞、紅白出場の継続、東京ドームライブやシンクロライブなどの成功、正直挙げ出したらキリがないがまいやんがグループにいてくれたお陰で近づいたグループの功績は数え切れない。3,4期生がまいやんの背中を見れたこともきっとこれからのグループにとって大きな財産であろう。

 

そして個人的にもまいやんがいてくれたからこそ推しメンがいなくなってからもライブなどのイベントを楽しめた部分は大きかったと思う。17年の神宮の1期生ライブを見た時にななみさんを見送ってくれたこの子たちが全員旅立つところをなんとか見届けようと決意してからここまで心が折れずにヲタクを続けられているのも半分くらいはきっとまいやんのお陰である。

 

 

 

10月にかなりんも卒業して残り8人となってしまった1期生、ここ数年で誰かが卒業して輪が小さくなる度に互いをぎゅっと握りしめる力が強くなっているように感じる。そして自分も3年前よりも想いが強くなってきた気がする。グループは目まぐるしく変わっていくけれどこれからも残りの8人、そしてOGの子たちの活躍を見届けたいと思う。

 

 

 

長くなってしまったが今後のまいやんの活動を想像するだけで楽しみだ、9年間本当にお疲れ様でした。

 

 

 

てかブログ書くのムズくね。