何もできずにそばにいる

エゴと妄想と回想

寒さに震える初冬の回顧

Twitterだと140字という制限の中で自分の想いを全て綴ることは難しいのでブログ書いてみました。飽きたらやめるかもしれないし飽きなくとも更新のペースはみなみちゃんもびっくりなマイペースぶりかもしれない、先は見えない。

 

 

 

今年は人生の中でもトップクラスに退屈な一年だったと言えるかもしれない。2月末辺りから大流行した新型コロナウイルスのせいでイベントは余儀なく中止、ここ最近ようやく業界の方々が手探りの中新たな形のエンタテインメントを我々にまた提供し始めてくれている。自分が今年参加したイベントといえば8th year birthdaylive(以下8thBD)とWHISTLE Down the WIND(以下WDTW)、そして帝劇ミュージカルコンサートくらいであろう。

 

 

 

8thBDは今年は名古屋で4daysでの開催となった。もう既に記憶は朧気だがライブの1週間前くらいからコロナウイルスがやばいというニュースをちらほら聞き始めた気がする、乃木坂はラッキーだったというべきかなんとか滑り込みでライブは無事に開催できた。コロナ禍以前の全国最後の大規模イベントだったと言ってもいいのかもしれない。

 

ライブについてもあれこれ語りたいのだが長くなりすぎてしまいそうなので円盤が発売される頃にでもまた別の記事で。

 

 

 

WDTWも東京では1週間くらいしか開催できなかったはず、自分は奇跡的に払い戻しがない開演できる日程のチケットを取っていたので日生劇場にて観劇した。状況が状況だったので空席も見受けられたが生田絵梨花の圧巻の演技そして美しい歌声に感激した。今となってはWDTWの思い出も少し寂しく切ないものに見えてしまう。ブラッディ・マンデイ、好きだったなあ。

 

 

 

帝劇ミュージカルコンサートは三密回避のため予め観客が隣り合わないよう空席が意図的に設けられての開催だった、人が少ないからこそいくちゃんの伸び伸びとした楽しそうな歌声がいつもよりよく響いて聞こえたような気がするしモリクミさんの迫力には度肝を抜かれた。

 

 

 

例年行われていた全国ツアーは当然開催できなかったしもしコロナがなければ行われていたかもしれないさゆやかなりんの卒業関連のイベントが行えなかったことが非常に悲しい、ヲタクにとって夏に神宮に行くことこそが夏みたいなもんなので。それに卒イベも時間はいくら空いてもいいのでいつかやって欲しいと願う。

 

 

 

そして先日10月28日、白石麻衣卒業コンサートが配信ライブという形で行われた。この話が今回のメインである、前置きが長すぎた。

 

白石麻衣という名前は恐らく乃木坂のことをよく知らない人でも聞いたことぐらいはあるはずだ、今でこそ乃木坂も様々なメンバーがグループ外での活動が増えてきてはいるが黎明期の頃から生駒ちゃんと並んでグループの先頭で引っ張ってきた彼女が乃木坂にもたらしたイメージの影響は計り知れない。

 

白石麻衣と言えばあなたはどんなことをイメージするだろうか。専属モデルや写真集と言った村外活動のパイオニア?乃木坂の女神?お茶目な完璧主義者?

 

人によって答えは様々であろうがここは敢えて自分は橋本奈々未推しという立場から少し語りたいと思う。自分にとってはななみさんのシンメと言えばまいやんなのである(以後推し補正強め)。7,8,9,11,12thの表題シングルで前列や2列目でシンメを組んできた最強無敵のパートナー。傍から見ればプライベートの付き合いはそんなになかったような気もする二人だがお姉さん組や92年組、御三家と言った括りでよく一緒になっていたこともあってカップリングやグラビアで一緒になることは非常に多かったように思う。

 

なぜ自分が何年経ってもこの"孤独兄弟"に囚われているのかという話だが、最早この二人のシンメの輝きは過去のヲタクの幻想に近づいてきてしまっているのかもしれない。ななみさんが卒業して3年半(シングルで言えば25th時点で9作)が経ちこの二人の組合せを知らないファンも増えてきたはずだ。目まぐるしく移り変わる女性アイドルのヲタクにとって過去のメンバーの功績を知ることは強制されるべきものではないというのが持論で「昔こんな子もいたんだよ」くらいで十分である。それを知っている人たちが思い出を大切にしていればいい。

 

あの二人への想いを未だに引きずっている全ての原因は卒コンとなった5th year birthday live1日目の特典映像である。当日の会場や円盤のライブ本編の映像ではほとんど聞こえなかったななみさんとまいやんのステージ上の最後のやりとり、円盤を再生すると会場のスピーカーには通っていなかった最後の二人のやり取りの音が入っていて罪悪感のようなものさえ感じてしまった、あれは本当にヲタクなんかが聞いてしまってよかったのだろうかと今でも思う。そしてまいやんの「がんばるね。」の言葉がずっと脳から離れない。冷静に考えてみると去りゆく者と残された者のよくある会話の一部なのかもしれないがENの手紙の「私の5年半はななみんの隣にいた5年半」なんてことを耳にしてしまえば呪縛は強まる一方だ。

 

まいやんは25の時つまり17年に一度卒業を考えていたそうなのだが周りに卒業を考えているメンバーが多いのもあってもう少し頑張ろうとグループに残ってくれたようだ、そこにあの「がんばるね」の言葉があったのかどうかはまいやん本人じゃないとわからないが自分も正直まいやんはもう少し早い時期に卒業すると思っていた人間なのでここまでグループにいてくれたことは驚きとともに感謝しかない。二度のレコード大賞受賞、紅白出場の継続、東京ドームライブやシンクロライブなどの成功、正直挙げ出したらキリがないがまいやんがグループにいてくれたお陰で近づいたグループの功績は数え切れない。3,4期生がまいやんの背中を見れたこともきっとこれからのグループにとって大きな財産であろう。

 

そして個人的にもまいやんがいてくれたからこそ推しメンがいなくなってからもライブなどのイベントを楽しめた部分は大きかったと思う。17年の神宮の1期生ライブを見た時にななみさんを見送ってくれたこの子たちが全員旅立つところをなんとか見届けようと決意してからここまで心が折れずにヲタクを続けられているのも半分くらいはきっとまいやんのお陰である。

 

 

 

10月にかなりんも卒業して残り8人となってしまった1期生、ここ数年で誰かが卒業して輪が小さくなる度に互いをぎゅっと握りしめる力が強くなっているように感じる。そして自分も3年前よりも想いが強くなってきた気がする。グループは目まぐるしく変わっていくけれどこれからも残りの8人、そしてOGの子たちの活躍を見届けたいと思う。

 

 

 

長くなってしまったが今後のまいやんの活動を想像するだけで楽しみだ、9年間本当にお疲れ様でした。

 

 

 

てかブログ書くのムズくね。